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自己喜歡的和弦組合

説到常用的和弦進行...不如從幾首自己的曲子來抓看看好了: 來世 (Eb大調) 副歌為 AbM7 > Bbsus4 Bb > Gm7 > Cm Eb7,也就是四級大七 > 五級掛四音 + 五級 > 三級小七 > 六級小 + 一級屬七。簡單來說是個4536的組成。 甘物 (F大調/D小調) 的副歌和絃組合我也愛用: BbM7 > A7 > Dm7 > FM7 > Em7-5 > A7 on C# > Gm A7 > Dm 比較值得一提的是A7 on C#這個,因為主旋律很直接的一直 C D C D C 的彈,所以就會想把它掰彎,故從本來直接配的Am7,讓Am7中的第三音 C 改成 C#,讓它與主旋律的 C 構成大七度。 最近彈琴時也常用大七度算法,先做出一個洗腦有毒的主旋律後,因為不想改動它的某些音,又想要大七度的效果,所以就逆向把和絃中的音改成能與主旋律搭配構成大七度的音。 另外自己很喜歡順著升上去的和弦組成。例如從一級 → 一級升第五音(aug) → 一級加第六音→ 一級屬七 → 四級 → 四級升第五音(aug) → 四級加第六音→五級(屬七) 另外4736251這種和弦型我也很愛,用在小調上很不錯。從Fiona Apple身上也學到主歌可以常用一級→五級,但根音在小三度上 (例: C > Gm on Bb),可以營造一種自言自語的小文青感。XD 黑箱 (the black case)  的副歌也是常用款,其實我只是用一個Gm和弦 (組成音:G Bb D),然後把根音G一直往下移,就變成 Gm > Gb6 (Gb Bb D) > Fsus4+6 (F Bb D) > Edim7 (E Bb D) > EbM7 (Eb Bb D) > D (D F# A D),只有最後一個改了一下。 其實因為自己在作曲上是旋律優先取向,往往想改和絃而不想改旋律,所以很多時候「一小節一個或兩個和弦」的方式並不適用。最後就乾脆和弦跟著旋律的呼吸走,才不會讓和弦卡到主旋律的感覺。或是讓和弦用分散的方式呈現,而不是一次壓死。 自己因為是...

致那些被捏造的我們,其三

音樂:KillerBlood 圖片:COLN 若說專輯「致那些被捏造的我們」本身是一幅正在完成的自我人生風景拼圖,那麼最後一首的附贈曲目「野史」,就是以第三人稱視野在看這幅拼圖的曲子了。 「野史」裡面蒐集了專輯裡前方十首的部份音樂要素,並將各自間值得玩味的部份加上一些改變與潤飾,盡力讓曲子裡的許多部份聽來熟悉,但彷彿已然遠去。 就音樂的作法上,是抽取前面十首曲子中自己喜愛的段落,拿回來加以改造與融合。在樂器的選用上可能大不相同,但旋律與節奏本身的樣貌則盡量保持一定程度的辨認度。當然也有曲子拿回來的部份已經被重製得味道很淡了,但它確實存在著。 會想用這種角度製作這首曲子,一方面是覺得回顧自己的東西很有趣,另一方面是覺得「若能把這些咀嚼過自己作品的想法反芻成另一首曲子,應該也很有趣吧?」抱著這種思維所誕生的曲子就是「野史」了。一開始本想叫它「歷史」,但基於附加曲目的屬性,反而不希望它太過厚重,最後幾經考慮便叫它野史,讓它像鄉野傳說般自述前面的十首曲目。

捏造された僕たちへ、その二

イラスト:COLN 中国語原文: 致那些被捏造的我們,其二 訳者:Kinra 単純な歓びは楽しめるものだけど、その後ろに淋しい背景が存在すると、歓びの色は濁って見える。しかし「歓び」そのものから目を離さずに感情を込めて、狂ったように発掘し続けると、また違う感触になる。すべての事象は観測される前から存在していた。僕たちが断章取義をすればするほど、思い知ることになる。宇宙の一員として、自分が如何にちっぽけな存在か、少しくらいは理解するべきだ、と。 しかし僕たちは人間だから、人間の生命のペースと視点でこの宇宙全体を観測するのが、僕たちだけに許された楽しみだ。相手が常に沈黙している、にもかかわらず。僕はこないだ『風ノ旅ビト』というゲームに出会ったんだけど、その体験で僕の中に何か深く確立したものがある。生きていることは旅であって、最後の安らぎは帰郷である、と感じさせられたんです。そして最近ようやく気付き始めた。自分が経験した短い年月の中、一番忘れられないのは、様々な形の別れだったと。見慣れたものや見慣れていないものが、生命という舞台の奥に潜んで、無数の記念品のようなガラクタが散らばる薄暗い舞台裏の通路を通って、未知なる彼方へと歩いていくこと。 結局残ったものの中、誰の伝説が正史に、誰のが野史になるんだろう。僕は、どれも生命の素材だと思う。誰に拾われるか、誰に発想されるか、誰に再創作されるか、そう簡単に止められるものではない。現に僕たちも、自分の掻き集めてきた素材を愛でながら、自分の納得行くような形に仕上げているのではないか。 たとえば、納得の行く自分自身に。 これは実に奇妙な営みです。昔の自分を見ていると、情緒が湧いてくる。僕たちはいつも、自分を解釈する、もしくは別時空に分岐する自分ではなく今の自分を選んだことを解釈する暇がある。積み重ねた過去は読みきれない文書のように、部屋いっぱいに詰め込んである。気がついたら、呼吸している空気でさえ検査と準備が為されていた。僕たちは常に、前の瞬間が積み上げてくれた歴史の上に生きているんだ。 未来がどこまで長いかはまだ見えないけど、過去の方は不思議なほどに重いものだった。

捏造された僕たちへ、その一

アルバムカバー(仮) イラスト:COLN 中国語原文: 致那些被捏造的我們,其一 訳者:Kinra 特に物語を難しくするつもりは無いんだけど、感じることができても自分じゃあ書けない、みたいなことはあるよね。 子供の頃は誰もかもデタラメに空想していたけど、大人になると、「現実」というものに触れて、解っていくものです。それはどんなに豊かな感性を以ってしても変えられない、揺るぎの無い中立的現実。そしてそういう現実もやがて星の巡りと共に変わっていくと理解した瞬間、この宇宙は僕たちの想像できる以上に摩訶不思議なものであると感じてしまう。『捏造された僕たちへ』は、より高い視点から自分自身、そして周りの状態を観照する試みです。僕は映画『インターステラー』みたいな見方が好きです。この宇宙というゲームの中で僕たちはまだ最初の村すら抜けていないかもしれないけれど、人間のちっぽけさと一種の必死さを、切実に感じることができると教えてくれるから。 宇宙と歴史から抜けられる人間はいない。 消えていく一瞬一瞬と共に、宇宙を一つの家族として見ようとしていけば、もしかすると人々はもっと遠くへ行けるようになるかもしれない。 かなり昔のSF漫画で、こんな話があった。人類という種が老年期に入って、地球周辺にある居住、到達や植民が可能な星が全部開発し尽くされ、故郷という概念がとっくに地球レベルを超えていた時代。不思議なことに、そんな「地球=故郷」という意識が希薄になっていたはずの環境なのに、数千年の発展と銀河植民の末、出生率は低下し、イノベーションは行き詰まり、人類は銀河旅行に興味を失くしてしまうのだった。結局人類は開発した惑星を捨て、次々と地球へと帰ることに。最後には、一人の老人だけが離れることを拒み、移住者たちの帰郷を眺めつつ、誰もいなくなった惑星に残り続けた。六千年前のとある曲を聴きながら・・・。 この話は大好きだった。そして意外にも、記憶の中にずっと残っていた。 人はささいなことでも覚えたりする、ということです。 僕に精一杯出来ることは、この世界を描写することだろう。そしてたまたま音楽が、僕の一番うまくやれることだったんだから。 (続く)

捏造された僕たちへ

中国語原文: 「致那些被捏造的我們」 訳者:Kinra 「捏造された僕たちへ」 宇宙は常に沈黙している。 固いまたは緩い現在の数々に 夢と現実が溶け合う無数の境界線に 甘く、苦く、辛く、たちまち酸っぱくなる意識の奔流の中に 人々は賑やかに開拓をするが 次第に言葉が少なくなり 限りなく穏やかさに近づいた時点で 雑踏から離れていく その間僕たちは喋る。声を発して 肢体と舌をくねらせる 「記録だ」と僕たちは言う すべての瞬間は歴史にと、果てもなく 滅びるまで記録しつづける 自分の知っている、燃えることと 燃え尽きること。そういう 事実を。 描写すると同時に描写されてもいる あらゆる先と後は色に染まって 同じ群れが同じ群れに影響する 同じ沈黙している母親の前に 僕たちは一つの群れ 宇宙は一つの群れ 離れることは不可能だと深く理解したら、 手紙を書こう 捏造された僕たちへ 熟読された後は燃やされたり保存されたり 或いは鑑定され、維持され、棚に上げられるかもしれないが 一つであることは成就する そして沈黙を守り続けるんだ、 宇宙のように。

To Us Who Are Made Up, Part Two

Illustration : COLN Translation:Unk Original Article: 致那些被捏造的我們,其二 Pure joy is jubilant, yet sad backstory will make its own color murky. However, there will be something fresh if we focus on the "JOY" itself, devoting our emotions digging into it berserk. We remind us subjectively that things always exist before receiving any attention; as the member of the cosmos, you need to comprehend the smallness of yourself. Nevertheless, we're human beings, observing this whole cosmos with life and perspective of humanity. This is the fun only belongs to us, no matter how speechless the cosmos is. Not long ago I played the game "Journey" by accident, which profoundly helps me to recognize something unsure. This game makes me feel that life is a trip, and homecoming is the final rest. In recent I ultimately realize that, in the short period of time I've experienced, the ones I hardly forget is every kind of leaving. With the fading of something fami...

致那些被捏造的我們,其二

圖:COLN 單純的快樂很令人愉悅,但若它有個淒涼的背景,快樂的色彩便顯得混濁。如果只針對著「快樂」本身目不轉睛地投入情感並狂亂的挖掘著它,則有另一番感受。事情總是在被觀察到之前就已存在,我們的斷章取義不斷地提醒著我們:身為宇宙的一份子,你必須稍微瞭解到自己是怎樣的渺小。 但我們身而為人,用人類生命進行的速度和角度來觀察這整個宇宙,便是我們獨特的樂趣。 儘管它總是沉默不語。 之前偶然玩到一個遊戲《Journey》,從那之後它便深深的幫我確立了一些東西。它讓我感覺生活是一趟旅途,最後的休息來到之時便是歸鄉。而 最近才發覺 在自己所經歷的短暫歲月裡,最難以忘懷的是各種型式的離去。曾經熟悉或不熟悉的事物隱沒在生命的舞台後,沿著堆放了無數紀念品般雜物的幽暗後台小道,緩緩走向另一片未知。 最終留下的事物,誰的傳說會成為正史或野史呢? 我倒覺得都是生命的材料。誰要撿拾誰要發想誰要再創作,不是那麼輕易就攔得住的。我們不正也各自賞玩著自己從四處蒐集來的素材,編織成自己滿意的樣貌嗎? 譬如說,編織出一個滿意的自己。 這動作其實很奇妙,當看著過去的自己時,有股情感油然而生。我們總是擁有許多時間來解釋自己,或是解釋為何選擇現在,而不是在不同的時空裡分岐的自己。所有累積起來的過去像看不完的文件堆滿房子,回過神來才發現連呼吸的空氣也已經過檢視與準備。我們無時無刻都活在前一瞬間所堆積起來的歷史上。 還沒見到未來有多遠,過去倒是厚重得不可思議。