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捏造された僕たちへ、その一


アルバムカバー(仮)
イラスト:COLN

中国語原文:致那些被捏造的我們,其一

訳者:Kinra


特に物語を難しくするつもりは無いんだけど、感じることができても自分じゃあ書けない、みたいなことはあるよね。 子供の頃は誰もかもデタラメに空想していたけど、大人になると、「現実」というものに触れて、解っていくものです。それはどんなに豊かな感性を以ってしても変えられない、揺るぎの無い中立的現実。そしてそういう現実もやがて星の巡りと共に変わっていくと理解した瞬間、この宇宙は僕たちの想像できる以上に摩訶不思議なものであると感じてしまう。『捏造された僕たちへ』は、より高い視点から自分自身、そして周りの状態を観照する試みです。僕は映画『インターステラー』みたいな見方が好きです。この宇宙というゲームの中で僕たちはまだ最初の村すら抜けていないかもしれないけれど、人間のちっぽけさと一種の必死さを、切実に感じることができると教えてくれるから。 宇宙と歴史から抜けられる人間はいない。 消えていく一瞬一瞬と共に、宇宙を一つの家族として見ようとしていけば、もしかすると人々はもっと遠くへ行けるようになるかもしれない。 かなり昔のSF漫画で、こんな話があった。人類という種が老年期に入って、地球周辺にある居住、到達や植民が可能な星が全部開発し尽くされ、故郷という概念がとっくに地球レベルを超えていた時代。不思議なことに、そんな「地球=故郷」という意識が希薄になっていたはずの環境なのに、数千年の発展と銀河植民の末、出生率は低下し、イノベーションは行き詰まり、人類は銀河旅行に興味を失くしてしまうのだった。結局人類は開発した惑星を捨て、次々と地球へと帰ることに。最後には、一人の老人だけが離れることを拒み、移住者たちの帰郷を眺めつつ、誰もいなくなった惑星に残り続けた。六千年前のとある曲を聴きながら・・・。 この話は大好きだった。そして意外にも、記憶の中にずっと残っていた。 人はささいなことでも覚えたりする、ということです。 僕に精一杯出来ることは、この世界を描写することだろう。そしてたまたま音楽が、僕の一番うまくやれることだったんだから。 (続く)
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談自創曲:來世

放在最後一首製作的反而有點如夢似幻,這是我製作「來世」這首歌曲時的感覺。

一開始只是非常期待這首歌,因為在2010年開始製作歌曲時,當初就訂下「用13首對稱曲名的規則來做出13首歌,之後再集結成一張專輯!」這個給自己的規定。但依我的腳步製作出來的曲子反倒都不是先有曲名,而都是先完成曲子之後才命名的,有點像給自己孩子命名般那樣的慎重。

談自創曲:孩子氣 (Childish)

想想,這首曲子其實和老爸有關。

老爸去年中風,雖然發現得暫無大礙,但語言區受損,剛開始恢復期時根本不說話(雖然他本來就話少)。一方面可能愛面子,一方面發現自己想說的事根本無法表述時,那種無奈又自責的心情,可想而知。

舉個例好了,他看到電視上的節目覺得起雞皮疙瘩,但說出來的卻是雞毛撢子。雖然之後可能會回想起他真正想要說的詞句,但在他直覺的當下就是無法把要說的事物,與正確的話語連結起來。而在中風剛發生後的幾週內,他其實連我的名字也講不出來。後來經過一連串復健,才比較能重新表達一些複雜的事情。

某方面來說不是很像學習中的孩子嗎?想著A卻說出B,這樣的狀況。

有時似乎是受了老爸的影響,覺得自己也變得有點語言困難了起來。明明心中想講的名詞是A,說出的話語卻是B,這種狀況雖然不算多,但也造成了某些困擾。雖然可能只是不自覺被感染的行為,並不代表自己真的有問題。

另外,雖然現在家人們已經能把糾正老爸的錯誤當成比較像是培養感情的娛樂了,但一開始發生時真是完全無法令人高興啊。或許這首曲子,正是那段時期產生的繁複感觸所沉澱出來的結果吧。

我們會漸漸淡忘些什麼,對吧?
那麼,
會再度想起些什麼嗎?


※ 1'48"後的類似機器人的說話聲,本意的確就是「某個人對你說話的聲音」。至於是誰,說了些什麼,當然留給聽者自行想像囉。

[舊文備份] 黑白藍的瘋狂鍵盤魔術師:H ZETT M

原文刊於重力曼波同人情報誌,2011年8月14日

一個手彈電子琴,眼影黑不拉基,鼻頭還帶著詭異的藍色。彈起琴來又快又目不暇給,好像有彈錯很多東西又好像沒有?!但聽起來也蠻過癮的!? 就是他啦,日本鍵盤魔術師H ZETT M!